僕が最後に言うことば

以前、布教使(ふきょうし)さんが法話の中で、こんなことを言っていました。

「あなた自身が余命1日」になった状態を想像してみてください。

あなたは、ふとん(もしくはベッド)に寝ています。
意識はまだはっきりしています。
そのまわりで、家族や友人など、あなたの身近な方が、あなたの最後を見届けています。

その身近な方に、家族に、友人に、
あなたは最後の言葉として、どんな言葉をかけますか?

今想像した、その言葉、
今すぐに、その身近な方に、言うべき言葉です。
あなたは、次の瞬間にでも死ぬかもしれない身なんですから。

この布教師さんの話を聞いて、確かにそうだよな~って納得した記憶がある。

考えてみれば、この死に方は、僕にとって理想的な死に方だ。
ただ現実では、そうはいかない。
去年の3月11日に、痛切に思い知らされた。

死ぬときは、
建物に押しつぶされて死ぬかもしれない。
津波に飲まれて溺死するかもしれない。
車にひかれて死ぬかもしれない。
心臓麻痺であっという間に死ぬかもしれない。
ぼけてしまい、誰が誰だかわからなくなって死ぬかもしれない。

そして、その時は自分じゃ決められない。
それは、明日かもしれない。いや1時間後かもしれない。

だったら、一刻も早く、その身近な方に、その言葉を言うべきだ!
確かにそう思った。
でもいざ実行!となると・・・
これが本当に難しい。

頭では、理屈では理解できても、
「僕自身が明日いや1時間後にでも死ぬかもしれない身である」
と心の底から思えない僕がいたりする。
心の底にまだ甘えがある。
「大丈夫、僕は大丈夫だよ。まだまだ死なないよ。」
そんな風に甘く考えている僕もいたりする。

さっき自分で想像した、
「僕が身近な方にかける最後の言葉」を
僕が生きている間に実際に言えるだろうか?

そして、その身近な方が死ぬ前に
「僕が身近な方にかける最後の言葉」を言えるのだろうか?

言った方がいい、言わなきゃいけない、
と思うんですが・・・
まだまだ素直になれない自分、
自分の事として、ものごとをありのままに見る事が出来ない僕がいたりする、
今日この頃だったりします。

東日本大震災フリー画像

東日本大震災 ※フリー画像

 

東日本大震災 倒壊したお墓

東日本大震災 倒壊したお墓

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