~この瞬間を精一杯生きる教え~

歎異抄 後序

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたわごと、
まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします(歎異抄) 

親鸞聖人は、この娑婆世界を「火宅無常の世界」と表現されました。
その「火宅無常の世界」での私の人生。何を頼り(よりどころ)に生きていけばいいんでしょうか?
「浄土真宗と歩む人生」すなわち「阿弥陀如来(阿弥陀さま)におまかせして念仏申す人生」、それは、寿命の長短、亡くなり方の善し悪しに縛られることなく、
一人ひとりがそれぞれのご縁の中で、精一杯生き抜くことのできる、真に力強い人生です。

「阿弥陀さまに救われる」ということは、「お浄土で仏になる」ということを根本に、
この世で私自身が、決してゆらぐことのない確固たるよりどころを得る
阿弥陀さまに受け入れられ、受け止められる」ことです。
行き先がわからず右往左往する人生ではなく、迷いを超えた『さとり』へと、人生の方向が定まる
ことです。

ですから私達はこの娑婆の世界で、安心して、自分のご縁の中で、精一杯生きることができるのです。
安心してこの娑婆で、俗事に取り組めるのです。

浄土真宗のご利益?

現世祈祷(げんぜきとう)などにたよらない浄土真宗ですが、現世利益(げんぜりやく)はあります。
浄土真宗の現世利益の中心は、
『生きているこの時に、必ず!往生成仏することが決定した仲間、正定聚(しょうじょうじゅ)とならせていただく』
という利益です。この利益は私の方から「どうか正定聚にならせてください」と阿弥陀如来に祈ることによって与えられるのではなく、「かならずすくう」という阿弥陀如来の願いによって与えられるものです。
煩悩に満ちた私(わたくし)ですから、健康や財産を欲するこころは消えません。しかしそれら私が欲するものは、いつか必ず失われるものです。一方、阿弥陀如来が与えてくださる正定聚の利益は、決して失われません。言い換えるならば、
『一生、決してゆらぐことのない確固たるこころのよりどころ』を得られるのです。
これほど心強く尊いご利益はないと思いませんか?

浄土真宗の教章(私の歩む道)

■宗名 浄土真宗
■宗祖

親鸞聖人(ご開山)
ご誕生 1173年5月21日(承安3年4月1日)
ご往生 1263年1月16日(弘長2年11月28日)

■宗派 浄土真宗本願寺派
■本山 龍谷山本願寺(西本願寺)
■本尊 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
■聖典

●釈迦如来が説かれた「浄土三部経」
『仏説無量寿経』
『仏説観無量寿経』
『仏説阿弥陀経』

●宗祖 親鸞聖人が著述された主な聖教
『正信念仏偈』 (『教行信証』行巻末の偈文)
『浄土和讚』『高僧和讚』『正像末和讚』

●中興の祖 蓮如上人のお手紙『御文章』

■教義 阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
■生活 親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を開き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。
■宗門 この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀 如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かにいきることので きる社会の実現に貢献する。

※参考文献:浄土真宗必携み教えと歩む

浄土真宗の教章(わたしの歩む道)

浄土真宗の教章(私の歩む道)を理解するために

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