平成27年(2015年)5月のことば

平成27年(2015年)高井寺今月のことば

平成27年(2015年)高井寺今月のことば

 

煩悩具足の凡夫
火宅無常の世界は
よろづのこと、みなもって
そらごと、たはごと、まことあるなきに、
ただ念仏のみぞ、まことにおはします

親鸞聖人(歎異抄後序)

※現代語訳
わたくしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、
この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、
すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。
その中にあって、ただ(阿弥陀如来の本願の)念仏だけが真実なのである。

(『歎異抄(現代語版)』本願寺出版社)

親鸞聖人は私達が生きているこの娑婆世界のことを、「火宅無常の世界」、火につつまれた家のように、「すべてのものが変転する世の中」であるとおっしゃっております。

「火宅」とは、『法華経』「譬喩品(ひゆぼん)」の火宅三車の譬えにもとづいています。

「すべてはむなしく、いつわりで、真実といえるものは何ひとつない」とは、

自分は正しいけれども、悪いのは他人であり、この世の中である、

というような意味ではありません。

「煩悩具足の凡夫」というのが親鸞聖人自身に対しての目覚めであり、

「火宅無常の世界」というのが親鸞聖人自身の人生に対しての目覚め、外なる世界への目覚めであります。

親鸞聖人は、正像末和讃の中で、ご自身のことを、こう詠まれています。

浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし

正像末和讃 愚禿悲歎述懐

自分自身の「こころ」を徹底的に見つめられたのが親鸞聖人です。

 

この、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は~」のお言葉は、

真に信じることが出来ない、真に自分を省みることも出来ないわが身であるが、色んな「ご縁」、色んな「おかげさま」によって、生かされ、お念仏とともに歩む人生を生きている・・・。

そんな親鸞聖人が、人生の「確固たるよりどころ」を得た、よろこびのお言葉だと思います。

 

「3、賢者?愚者?」
https://kouseiji.com/blog/?p=624

 

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