「生きがいを求めて」(hasunohaより)

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初めまして。

生きがいというものを求めています。
大学に入ってから考えつづけていたのは、自分の人生に意味などなく、どうせ死ぬのになぜ勉強し、働くのかという問いです。

ほとんどの宗教では、生きること自体を肯定しているように見えますが、
それは人間が脳内で作った勝手な理屈で、何だかよくわからないけど怖いからそれらしい理屈をつけて、人生に納得しようとしているようにしか見えません。(宗教をバカにして言っているわけではありません、一連の『物語』を信じ、神や仏に帰依することができないんです)

「生きがい」で検索しても出てくるのは、怪しい宗教のサイトや高齢者福祉施設ばかりです。

どうしたらいいんでしょうか?

 

お坊さんが人生相談等の悩みにQ&A形式で答える「hasunoha(はすのは)」というサイトに私も登録をして、たまに回答させてもらっています。

私も若いころ!?(今も若造ではありますが)相談者の方のような悩み、問いを抱いていました。

このサイトではほかにもいろんな悩みに対し、僧侶の方々が時にはやさしく、時には厳しく、真摯に回答をしてくれているので私も勉強させていただいております。

お坊さんの回答はこちら

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如実知見

僕は、普段、色んなことで悩んだり、考え事にふけってしまったりしています。

「如実知見」とは、

ものごとをありのままに、事実を事実として、ものごとの真相を正しく見極めること。

です。

私達は、自分の気持ちを、人にわかってもらいたい、と考えます。
※特に好きな人、愛する人、仲の良い友人には・・・。
だから、自分の気持ちを、わかってもらえないとき、
自分の気持ちに、気付いてもらえないとき、
苦しみます。怒りがこみ上げてきます。
「何でわかってくれないの!?」

でもちょっと冷静に考えてみれば、
僕の気持ちを、他人にわかってもらえるはずがありません。
エスパーじゃないんですから。
察してもらうことはできるのかもしれません・・・が、
僕の気持ちを、他人に完全にわかってもらえるなんて不可能です。

その為に言葉があります。
そしてその言葉にも限界があります。
そして言葉(文章)をもってしても僕の気持ちを完全に伝えるなんて不可能です。

不可能なことを自分で可能だと思い、勝手に悩んでいるだけです。

僕は、僧侶になる前、会社員でした。
営業でした。”ほこり”をもってやっていたつもりです。
突然、内勤に異動という人事通達がきました。
「なんで?」「成績も悪くないはずなのに?」「こんな理不尽が許されるの?」
色々悩みました。考え込みました。

でも、ちょっと冷静に考えてみれば、
そんなことに悩むなんて、全く無駄、無意味なんです。

会社は理不尽なんです。矛盾しているのが会社なんです。
会社ってのは結局、人間の集団ですから。
人間の心は理不尽です。矛盾しています。
時に理屈で動き、時に感情で動き、人の心は絶えず変化し続けます。
人間は、理不尽です。矛盾しています。
だから、
会社は、理不尽です。矛盾しています。
そして、
社会も、理不尽です。矛盾しています。

人間である以上、会社員である以上、社会人である以上、
理不尽なこと、矛盾していること、は当たり前のように経験します。

「なんで?」「なぜ理不尽なの?」「なんで矛盾しているの?」
なんて悩んでも、考えても無駄・無意味だと思うんです。
そういうものだ、と現実を受け入れていくしかない、と思うんです。
その上で、悩んでも意味がある悩みを悩み抜く。
例えば、
「内勤の人達との人間関係を気付くにはどうしたらよいか?」とか、
「内勤の仕事を効率よくこなすにはどうしたらよいか?」とか。
現実に即した悩みの方が、全然いいと思うんです。
その方が同じ悩むにしても、意味があると思うんです。

まあ、えらそうに言ってますが、
それができなかったから、僕は会社を辞めたわけでして・・・。(笑)

頑張るにしても、
可能なこと。不可能なこと、
をしっかり見極めることって大切だと思います。

悩むにしても、
悩んでも意味があること、悩んでも意味がないこと。
しっかり見極めることって大切だと思います。

自分が出来ないことを出来ると思い込み頑張ってしまうと、
苦しみます。当然自分には出来ませんから。

  • 例)自分の過去を変えることはできません。
    他人を変えることはできません。

不可能なことを可能だと思い込み、悩んでしまうと、
苦しみます。永久に解決は不可能ですから。
永久に悩み続ける、迷うことになっちゃいます。

  • 例)私の気持ちを他人にわかってもらいたい。
    うまくいかないのは、過去の~のせいだ・・・。

仏教を学ぶということは、
ものごとを正しく見極める能力を学ぶ、ということでもある、と思います。

自分から 回っている気の かざぐるま

私達は普段、あらゆるものごとを、「私の立場」から考えていきます。

でも、「私の知識」、と思っている知識は、
もともと、両親から、先生から、友人から、他人から、いただいたものです。

「私のいのち」、と思っているいのちは、
もともと、両親から、いただいたものです。
そして、他のいのちをいただくことでのみ生きられるのが私のいのちです。

私達は普段、「自(分)」の「力」で生きていると思っています。

でも別の言い方をすれば、

私達は、「他」の「力」の「おかげで」で生かされている。
とも言えます。
要はあらゆるものごとは、

「おかげさま」

です。

悩んだときに、ちょっと立ち止まって、

「自(分)」の方からだけの見方をしている私がいないか、
「他」の方からの見方を忘れている私がいないか、
確かめてみるのもいいんじゃないかな・・・と思う今日この頃です。

 

精一杯休む。

生きているということは確実に死に近づくこと。

一歩一歩確実に「死」に向かって歩いている。

「死」がむなしい、無意味なものであるなら、

「死」に近づくにつれ、むなしさ、恐怖感がつのっていくばかり。

 

もし「死」に意味を見いだすことができたら、

「死」が私が滅んでいくことではなくて、

「死」が、

「人として生きてきた私が新たな場所に往き生まれること」、

「私が先に見送ってきた、亡き愛する者とまた会えること」、

そして

「私が残してきた愛する者のしあわせを願い、見守っていくこと」、

と意味を見いだすことができたら、

「死」は決してむなしく、無意味なものでなくなるはず。

そして意味を見いだすことが出来たとき、

「私の死んで行く場所」が、

「むなしく無意味な恐怖の場所」

から

「私の還(かえ)るべき”ふるさと”」に変わる。

私のこころに、「還(かえ)ることのできる”ふるさと”」ができる。

私のこころに、よりどころを得た安心感が生まれてくる。

このとき「救い」は完成する。

 

後は人としての一生を精一杯生きるだけ。

その日その日、目の前のやるべきことを精一杯やっていくだけ。

朝起きて「今日も朝目が覚めたこと」に「ありがとう」。

夜寝る前「今日一日生かされたこと」に「ありがとう」。

一日一日精一杯生きていくだけ。

ひたすら目の前の現実を見て、ひたすら現実を受け入れて生きていくだけ。

ただただ現実を生きる。

世間にはびこる、変なおまじないや変な宗教に逃げることなく。

それでも現実から逃げたくなったら、

仏さまにちょっと甘えてみる。

「そのままでいんだよ。」

「逃げたくなるのが人なんだよ。」

ありのままの私を受け入れてくれる。

そしてまたひたすら現実を生きる。

成功するもよし。失敗するもよし。

仏さまの目からみれば、人生に成功も失敗もない。

そして、縁尽きて人生が終わったら、

あとはおまかせするだけ。

ふるさとに還るだけ。

(ひとりごと おしまい)

 

今日寳満寺の法務は休みでした。
部屋の掃除。
洗濯。
買い物。
サーカー観戦。※勝ちましたね♪
精一杯休みました。(笑)

ひとりごと

今世間をさわがせている「自殺問題」
そして医療現場における「介護問題」「尊厳死問題」
社会におけるさまざまな問題と、
どうかかわっていくか?
それともかかわらないのか?

今後の、
寺のあり方、僧侶のあり方、僕自身のあり方
を考えさせていただく、
いいご縁をいただきました。

https://kouseiji.com/blog/?p=624#comment-25
※何かありましたらお気軽にコメントくださいませ。

高井寺ホームページ公開

高井寺副住職(自称)管理人のtosizooこと「釋俊道」です。
銚子の寳満寺(宝満寺)さんにお世話になって早3年目。ようやく法務にも慣れて、
プライベートにも余裕がでてきた今日この頃・・・。
ずっと気がかりだった、自坊「高井寺」のホームページがなんとか一部公開できた。
いかんせん、ホームページなんぞ、大学時代につたないHTMLで遊びでつくった程度。
※tebleタグでのデザインは難しかった・・・(笑)
あれから、ウン十年と時は流れ・・・・HTMLすら完全に忘れてる始末・・・。
スタイルシート?php?もう??だらけ(笑)

これから少しづつ、更新して、中身のあるサイトにしたいと思います。