ゴールデンウィーク明け、長野に所用で戻ったついでに、善光寺にお参りしてきました。
高さ約10メートルの回向柱です。
回向柱の上部の「善の綱」とよばれる綱は、本堂にご安置される前立本尊(一光三尊阿弥陀如来像)につながっているそうです。
よって、回向柱に触れることは前立本尊に触れるのと同じ功徳があるそうです^^
自分も触れてみました。やせますように・・・。
夕方5時から、前立本尊の厨子(ずし)の扉を締め、一日の終わりを告げる法要があるとのことで、お参りしてきました。
内陣は写真撮影禁止だったので、写真はなし。「南無阿弥陀仏・・・」と10回お唱えしていました。浄土宗ですね。
尼僧の方のお勤めの声が、すごく透き通った声で、素敵でした^^
かつて親鸞聖人も善光寺を訪れており、善光寺如来様に松の枝を捧げたという故事に基づいて銅像が作られています。※写真無し
建暦元年(1211年)11月、越後にいた親鸞聖人の流罪が解かれました。その翌年、師である法然聖人の訃報が届きました。当時妻と小さな子供がいた親鸞聖人は越後を出て、この地善光寺に入り、2年ほどとどまったといわれています。
なぜ長野だったのか?浄土門の高僧達が参詣していた善光寺だからこそ、親鸞聖人はこの善光寺に来たのかもしれないですね。
親鸞聖人は晩年、善光寺讃という和讃を五首詠まれています。
どんな心境でこの和讃を詠まれたのでしょうか?
※この時代に「仏=ぶつ」を、「仏=ほとけ」と発音するようになったようです・・・。
そして本来の「仏(ぶつ)」の意味が薄れ、「仏(ほとけ)」が死んだ人の意味になってきたようです・・・。
善光寺讃
善光寺の如来の
われらをあはれみましまして
*1なにはのうらにきたります
御名をもしらぬ*2守屋にて
そのとき*3ほとほりけとまうしける
*4疫癘*5あるいはこのゆゑと
守屋がたぐひはみなともに
ほとほりけとぞまうしける
やすくすすめんためにとて
ほとけと守屋がまうすゆゑ
ときの外道みなともに
如来をほとけとさだめたり
この世の仏法のひとはみな
守屋がことばをもととして
ほとけとまうすをたのみにて
僧ぞ法師はいやしめり
*6弓削の守屋の*7大連
邪見きはまりなきゆゑに
よろづのものをすすめんと
やすくほとけとまうしけり
※1 なにはのうら・・・百済から摂津の難波(現在の大阪)の浦へこられたことをいう。
※2 守屋(もりや)・・・物部守屋(もののべのもりや)のこと。仏教伝来当時の排仏派の中心人物。578年蘇我氏のために滅ぼされた。
※3 ほとほりけ・・・熱気。仏像が熱病の起こるもとであるという邪説
※4 疫癘(えきれい)・・・伝染病
※5 あるいはこのゆゑと・・・もしや仏像が原因ではないかと。
※6 弓削(ゆげ)・・・現在の大阪府八尾市内。
※7 大連(おおむらじ)・・・大臣(おおおみ)と並んで、大和朝廷における最高の執政官職。
初めまして。
ブログとは関係のない質問で恐縮ですが、お答え頂けると幸いです。
私の家も浄土真宗本願寺派ですが、私は正直禅宗のほうに興味があります。坐禅や写経を通して仏教に関わってみたいと思っています。
ただ、この行為がご先祖様に失礼に当たらないかどうか心配です。
浄土真宗のお坊さんの意見をお聞かせください(><)
お問い合わせありがとうございます。
浄土真宗のご門徒が、座禅や写経をすることが、ご先祖様に失礼に当たらないか?とのことですが、決して失礼なことではないと思いますよ。
むしろ尊いことだと思います。
おそらく、ご存知かとは思いますが、浄土真宗では、行としての座禅や祈願・供養としての写経は行いません。
が、座禅や写経を行ってはいけない、ということではありません。
般若心経・法華経もしかり。浄土真宗ではお勤めしませんが、(※理由は省きます。)読んではだめ、勉強してはだめという事ではありません。
ぜひ、興味があることから、仏教に関わっていただきたいと思います。
やはり、仏教は心が広いですね、、(^^)
私は仏教の「ぶ」の字もよく分かっていない初心者なので、今はまだ、他力本願で浄土を願うよりも、自分の内面と向き合おうとする姿勢のほうが好きだなぐらいの気持ちです。
浄土真宗の家に生まれたので、いずれ浄土真宗についてもちゃんと勉強してみたいです。
ご回答ありがとうございました。