僕は、普段、色んなことで悩んだり、考え事にふけってしまったりしています。
「如実知見」とは、
ものごとをありのままに、事実を事実として、ものごとの真相を正しく見極めること。
です。
私達は、自分の気持ちを、人にわかってもらいたい、と考えます。
※特に好きな人、愛する人、仲の良い友人には・・・。
だから、自分の気持ちを、わかってもらえないとき、
自分の気持ちに、気付いてもらえないとき、
苦しみます。怒りがこみ上げてきます。
「何でわかってくれないの!?」
でもちょっと冷静に考えてみれば、
僕の気持ちを、他人にわかってもらえるはずがありません。
エスパーじゃないんですから。
察してもらうことはできるのかもしれません・・・が、
僕の気持ちを、他人に完全にわかってもらえるなんて不可能です。
その為に言葉があります。
そしてその言葉にも限界があります。
そして言葉(文章)をもってしても僕の気持ちを完全に伝えるなんて不可能です。
不可能なことを自分で可能だと思い、勝手に悩んでいるだけです。
僕は、僧侶になる前、会社員でした。
営業でした。”ほこり”をもってやっていたつもりです。
突然、内勤に異動という人事通達がきました。
「なんで?」「成績も悪くないはずなのに?」「こんな理不尽が許されるの?」
色々悩みました。考え込みました。
でも、ちょっと冷静に考えてみれば、
そんなことに悩むなんて、全く無駄、無意味なんです。
会社は理不尽なんです。矛盾しているのが会社なんです。
会社ってのは結局、人間の集団ですから。
人間の心は理不尽です。矛盾しています。
時に理屈で動き、時に感情で動き、人の心は絶えず変化し続けます。
人間は、理不尽です。矛盾しています。
だから、
会社は、理不尽です。矛盾しています。
そして、
社会も、理不尽です。矛盾しています。
人間である以上、会社員である以上、社会人である以上、
理不尽なこと、矛盾していること、は当たり前のように経験します。
「なんで?」「なぜ理不尽なの?」「なんで矛盾しているの?」
なんて悩んでも、考えても無駄・無意味だと思うんです。
そういうものだ、と現実を受け入れていくしかない、と思うんです。
その上で、悩んでも意味がある悩みを悩み抜く。
例えば、
「内勤の人達との人間関係を気付くにはどうしたらよいか?」とか、
「内勤の仕事を効率よくこなすにはどうしたらよいか?」とか。
現実に即した悩みの方が、全然いいと思うんです。
その方が同じ悩むにしても、意味があると思うんです。
まあ、えらそうに言ってますが、
それができなかったから、僕は会社を辞めたわけでして・・・。(笑)
頑張るにしても、
可能なこと。不可能なこと、
をしっかり見極めることって大切だと思います。
悩むにしても、
悩んでも意味があること、悩んでも意味がないこと。
しっかり見極めることって大切だと思います。
自分が出来ないことを出来ると思い込み頑張ってしまうと、
苦しみます。当然自分には出来ませんから。
- 例)自分の過去を変えることはできません。
他人を変えることはできません。
不可能なことを可能だと思い込み、悩んでしまうと、
苦しみます。永久に解決は不可能ですから。
永久に悩み続ける、迷うことになっちゃいます。
- 例)私の気持ちを他人にわかってもらいたい。
うまくいかないのは、過去の~のせいだ・・・。
仏教を学ぶということは、
ものごとを正しく見極める能力を学ぶ、ということでもある、と思います。