ああ、またやってしもた・・・

宝満寺のアイドル「みーちゃん」

宝満寺の看板猫「みーちゃん」 ※写真と本文は全く関係ありません

ブログを更新することに執着している僕がいましたので、
あえて3日間更新をしませんでした・・・。
仏教を学んでいくとともに”へりくつ”がうまくなっていく僕がいたりする今日この頃です。

先週土曜日から日曜日にかけて、毎日の月忌参りに加え、法事・葬儀がありましたので、
ブログ更新どころではなかったというのが正直なところです。

・・・・・・

・・・・・・

と、ここまで書いてふと、
「ブログを更新しなかった」ということを、「月忌参り・法事・葬儀」のせいにしている僕に気がついてしまいました。
よくよく考えてみると、
自分のミスや失敗、自分の怠慢やなまけ心を、
ついつい他のせいにしてしまいがちな僕がいたりします。

「ブログを更新しなかった」という結果の原因は、
きっと「僕のなまけようとしてしまう心」でしょう。

「月忌参り・法事・葬儀」はその結果をまねいた条件(縁)でしかありません。

「唯識(ゆいしき)」という大乗仏教の見解では、「なまける心」も煩悩です。
※→懈怠(けたい)放逸(ほういつ)でしょうか・・・
ちなみに、「唯識」では、煩悩について、無意識レベルで(マナ識・アラヤ識)の4つの根本煩悩、意識レベルでの6つの根本煩悩を示して、そこから五感(識)で認識できる20随煩悩が派生すると説いています。
僕は「唯識」についてはあまり勉強できてなかったりします・・・^^;

一般の仏教的に言うならば、この「僕のなまけてしまう心」をなくそう!
ということが目標になるのだと思います。

一方、浄土真宗的に言うならば、「僕のなまけてしまう心」を無くそうとしなくてもいいよ。
ただ、僕が「なまけてしまう心」を持っていることに気付こう!
そして、僕が「なまけてしまう心」を持っていることを自覚していこう!
これが目標になるのだと思います。

こうして、僕が「なまけてしまう心」を持っていることを自覚していけば、
また同じように、「自分のミス・失敗、自分の怠慢・なまけ心」を、他のせいにしてしまった時、
「ああ、またやってしもた・・・」冷静に反省できると思うんです。

「ブログの更新をしなかった」程度のことでは、苦しみはありませんが、
例えば、「仕事上のミス・失敗をしてしまった」とか苦しみ・悩みをともなう結果になってしまった時でも、冷静に反省して原因が特定できれば、一時的に苦しみはあっても、苦しみを引きずらない、というか、すぐ立ち直れると思うんです。
そして次から同じ過ちをしないようにすることで、成長できると思うんです。

今回の僕の場合、「ブログを更新しなかった」という事実を、
「月忌参り・法事・葬儀」のせいだ、と自分以外のせいにして逃げるのでは無く、
「僕のなまける心」のせい。「僕自身の心」せい。
と自分に「なまける心」があるということを受け入れていくべきなんだと思います。

自分以外のせいにしておけば、自分が傷つかなくて楽なんですけどね・・・。

 

これから僕が僧侶として歩んでいく上で、「唯識(ゆいしき)」は、漢字が多くて、大変ですが、勉強しておいたほうがいいことは間違いないと思います。
そう思いつつも・・・、勉強しなきゃしなきゃと思いつつも・・・、
ブログを更新したり、法務が入ったりで忙しかったり、なかなか時間がとれなくて、勉強できないままだったりします・・・。

・・・・・・

ん?

あっ!

「ああ、またやってしもた・・・」(笑)

こんなことの繰り返しの毎日だったりする、今日この頃です。

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