お盆前に、月忌参りでお伺いしたお宅のおばあちゃんと野良ネコの話で盛り上がったことがありました。ガリガリにやせた子ネコが庭に迷い込んできたので、えさをあげてたら、なついてしまったそうです。
9月になり、先日またそのおばあちゃんの家に行き、
「子ネコまだ来てますか?」とあいさつがてら声をかけたら、
さびしそうな顔をして、ことのいきさつを話してくれました。
そのおばあちゃんによると
しばらく子ネコにえさをあげてたらしいんですが、
近所から、野良ネコにえさをやるなっ!ていうクレームがきたそうです。
「よかれと思ってえさをやってたけど、まさか、よそさまに迷惑をかけてるとは全く思わなかった。良い勉強になった。」
とのことでした。
私たちは普段意識せずとも必ず他人に迷惑をかけながら生きています。
私が「~の試験に受かった」ということは、
どこかの誰かが私のせいで「試験に落ちた」ということでもあります。
私達は生きているだけで、他人に迷惑をかけています。
だから、私も他人から受ける迷惑を堪え忍びましょう
ということが仏教でいう忍辱(にんにく)です。
かといって全ての迷惑を堪え忍ぶ、泣き寝入りする、ということでは無いように思います。
何を我慢すべきで、何を我慢すべきではないか、
その判断にあたっては、仏教の「智慧(ちえ)」のみせどころだと思います。
※「智慧」→物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。「知恵」→Wikipedia
その後、おばあちゃんは子ネコにえさをあげてないそうです。
ただ、
「またガリガリにやせた状態で来たら、えさあげちゃうかもね、
見殺しには出来ないよね。」
と笑みをうかべながら言ってました。
「私は悪いこと何もしてないのに」
「私は正しいことをしてるのに」
と思うこころに、
「他人から受ける迷惑を我慢できるこころ」
はありません。
ふとこんな言葉が頭をよぎりました。
善人ばかりの世の中になりつつありそうで、ちょっと怖くなったりする、今日この頃だったりします。もちろん、善人だと思ってしまう僕自身も含めてです。
※野良猫へのえさやりは全国的に(都市部?)問題になっているみたいです。
えさやり肯定派と否定派の方々がいて、どうやら、否定派が優勢?みたいです。
関連リンク
※食べる「ニンニク」は仏教のこの「忍辱(にんにく)」が語源だそうです。