縁起の二面性

お釈迦様が悟られたのは、「縁起の法」です。
例をあげますと、仏教での「いのち」は、縁によって生かされている「いのち」という事です。
「縁起の法」と「空(くう)」の思想とは密接な関係があります。というより実は同じような事だったりします。
※下記から中仏在学中にまとめたレポート。

此縁性(しえんしょう)の縁起と相依相待性(そうえそうたいしょう)の縁起

  1. 縁起

    1. 因縁生・縁生・因縁法ともいう。他との関係が縁となって生起すること。
      Aに縁(よ)ってBが起こること。よって生ずることの意で、すべての現象は無数の原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであり、独立自存のものではなく、諸条件や原因がなくなれば、結果(果)も自ずからなくなるということ。
      仏教の基本的教説。
      (中村元著『佛教語大辞典』東京書籍)
    2. 縁起の語は「因縁生起(いんねんしょうき)」の略で、「因」は原因「縁」は条件のことであり、また教典によれば、釈尊は、下記の様に述べている。
      私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである。
      (『南伝大蔵経』12巻)
  2. 縁起の二面性

    1. 多様に存在する縁の中で、特に重要な縁を取り出してそれを“因”と呼び、その因から“結果”が起こるという因果関係を中心にしてみる見方。
      この解釈は、原始仏教から部派仏教や大乗仏教へと展開している。代表的なものとして、原始仏教の“十二支縁起(十二因縁)”や部派仏教の“業感縁起”などの思想をあげることが出来る。
      此縁性の縁起
    2. 縁起における縁を重視し、縁によってものが形成されるといった存在についての相互関係を重く見る見方。
      この解釈は、大乗仏教に至り、龍樹が、著書『中論』の中で、『般若経』で強調された“空”を、“無自性”に基礎を置いた“空”であると論じて釈尊の縁起を説明し、発展した考え方である。
      相依相待性の縁起
  3. 縁起思想の歴史

    1. 原始仏教時代の縁起
      原始仏教というものは、常に現実的、具体的であって、「現実の私」というものがあくまで基盤であります。
      釈尊は、常にその現実の「私の世界」というものに足を踏まえて法をお説きになっております。いわゆる計而上学というメタフィジカルなものの考え方というも のは、釈尊自身にとって問題ではなかったのです。釈尊自身は、「人生は苦である」という事をまずおさえられ、その「人生は苦である」という「苦である人 生」を徹底的に見つめられたのです。そして、その苦からいかにして解脱するかという事が、釈尊にとって最大の問題であったのです。「縁起」は、その問題に 対する解答であります。
    2. 部派仏教(小乗仏教)時代
      釈尊の入滅後約百年に発生した仏教教団の分裂以降、部派仏教へと時代は移り、その後の二百年あまりの間に、約二十程の部派が成立すると、仏教の経理は、さ らに詳細に研究され緻密な思索がなされて、部派ごとに経(経典)律(戒律書)論(論書)の三蔵が整理されて、学問としては非のうちどころが無いほどきっち りとした教義が体系づけられてゆきます。(アビダルマ)
      原始仏教時代に一切法は常に私の世界であったはずが、この時代には、その一切法が私の世界ではなくて、常識的な森羅万象、宇宙万有になり、学問を究めた出家修行者のみにしか伝え語れないないほど、膨大で難解なものになってしまうにいたります。
      この発展は、大衆をおざなりにすることになり、大衆をも成仏の対象とした大乗仏教興起の原動力のひとつとなります。
      この時代に説かれる縁起説に、「業と輪廻」思想に関連する縁起説である、胎生学的解釈ともいわれる「業感縁起」があります。
      例)説一切有部の「三世両重因果説」
    3. 龍樹の縁起説
      龍樹(ナーガールジュナ(Nagarjuna))は、大乗仏教に哲学的基盤を与え、後の仏教書で、彼の影響をうけていないものなど、ひとつとしてないといってよいほど、大きな影響を与えた人物です。このことにより龍樹菩薩は「大乗八宗の祖」として仰がれています。
      龍樹の著書の『中論』の基本的なスタンスは、部派仏教の間で支配的だった縁起観というものを否定して、釈尊の本来の縁起観を取り戻そうとする事にありました。部派仏教の縁起観を否定するというのは2つの意味があり、1つは、流転し輪廻する人間のあり方を説明するような理解、つまり「時間的な生起の関係」という説明を否定して、「浄に依存しないでは不浄は存在しない。 不浄に依存しないでは浄は存在しない。」という「浄と不浄」の例のように、相依関係を表わすものとして縁起を捉えなおしたこと。
      そして2点目は、ものごとに「自性(じしょう)」を求める立場を明確に否定したところに縁起を位置づけたことです。
  4. 此縁性の縁起(天親)

    1. 原因や条件に応じ様々なものが正滅変化していくという事を表す。
    2. 十二支縁起(十二因縁)・・・我々の苦しみの成り立ち・解消法を十二の項目をあげて説明したもの。
      1. 私の苦しみをながめると・・・(順観)
        [無明]→[行]→[職]→[各色]→[六処]→[触]→[受]→[愛]→[取]→[有]→[生]→[老死]
      2. 私の苦しみが無くなるようにながめると・・・(逆観)
        [無明][行]→[職]→[各色]→[六処]→[触]→[受]→[愛]→[取]→[有]→[生][老死]

      「現象面(事)」「有相」「時間的側面(一方通行)」

  5. 相依相待性の縁起(龍樹)

    1. 相互に因となり縁となって相依り相まって存在する道理。
      原因や条件が有る時にその結果が有り、
      原因や条件が無い時はその結果は無い、空間的な関係。
      例)父と子はその相手と独立に父であり子である事は出来ない。

      1. 流転門の縁起(順観の縁起)
        1. 此れ有る故に彼有り
          此れ起る故に彼起る
      2. 還滅門の縁起(逆観の縁起)
        1. 此れ無き故に彼無く
          此れ滅する故に彼滅す

      「真理面(理)」「無相」「空間的側面」
      「非有非無・非正非滅」
      「無自性・空」

  6. まとめ
    龍樹(相依相待性の縁起)と天親(此縁性の縁起)の教義を融合させたのが、「曇鸞」
    ※当時のレポートではこのまとめの部分が明らかに間違えていたので、ほとんど省略しました・・・^^;

「自性」「我」「アートマン」
「変わることのない、そのもの本来の性質」
「一人で勝手に存在する」という意味である。
永久不変の存在として、過去・現在・未来のいつでもその本来の性質を保ったまま変わることのないもの。
過去にはなくてのちに生成・消滅することのないもの。原因・条件に依存して存在しないもの。
「空」=「無自性」
いかなるものにも「自性」など無いこと。
「一人で勝手に存在するものなどあり得ないという事」

【参考文献】
武内 紹晃 著『縁起と業-原始仏教から大乗仏教へ-』本願寺出版部
三枝 充眞 著『縁起の思想』法蔵館
中村 元・三枝 充眞 共著『バウッダ・佛教・』小学館
中村元 著『佛教語大辞典』東京書籍
中央仏教学院テキスト『仏教要説』『インド・中国仏教史』

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