お釈迦様がさとられたのが「縁起の法」です。
「因縁正起(いんねんしょうき)」とも言われています。
私がとった行動(果)には必ずその原因(因)と条件(縁)があります。
同じように、
私が感じた思い(果)にも必ずその原因(因)と条件(縁)があります。
そして、
私がとった行動・感じた思い(果)は同時に次の行動・思いの原因(因)になります。
以前、新しくお仏壇を購入したお宅に「入仏式(にゅうぶつしき)」でお伺いしたことがありました。
お仏壇を新しく買ったとき、お坊さんを呼ぶことが多いかと思います。そのことを一般的に、
「魂(たましい)入れ」なんて言い方をしますが、
浄土真宗では、お仏壇にご本尊(阿弥陀さま)をお迎えするという意味で、
「入仏(にゅうぶつ)」といいます。
「入仏式」とはあらたに仏さまをお迎えするお祝いの法要という扱いです。
今までこのお宅ではお仏壇がなく、最近、おばあちゃんが亡くなったので、それを機にお仏壇を買ったそうです。
ここで少し考えてみますと、
そのお宅の方が「お仏壇を買ったという行為」を結果(果)、と考えますと、
おおまかに言えば、お仏壇を買った理由(因)は、「おばあちゃんの死」でしょう。
ただそれだけではお仏壇を買うにはいたりません。
条件(縁)が必要です。
例えば、わかりやすいところで、
- お仏壇が家に無いこと。
- お仏壇を買うだけのお金があること。
- お仏壇を置く場所があること。
という条件が必要です。そして何よりも必要なのは、
- 「お仏壇が必要だ」という自らの思い
です。
お仏壇を買うだけのお金があっても、置く場所があっても、
「仏壇なんかいらねぇ」と買わない人はたくさんいるでしょうから。
これ以外にもたくさんの条件が必要になってくるはずです。
そのたくさんの条件がそろったとき、はじめてお仏壇を購入するという行為にいたります。
浄土真宗では、そのたくさんの条件を「ご縁」と言っています。
そして何よりも必要な条件である「お仏壇が必要だという自らの思い」は、結果(果)でもあります。
これまた「たくさんの理由とご縁」により、そう思える自分になっていたという結果です。
つまり、「お仏壇が必要だ」と思うことのできる私に、たくさんの理由とご縁により、
お育ていただいていた、ということです。
こう考えますと、
「私がお仏壇を買った」
(自発・能動的な考え方)
ということを言い換えれば、
「私がお仏壇を(亡くなった方を含め色々なご縁により)買わされていた」
もうちょっとましな言い方をすると、(笑)
「私がお仏壇を(亡くなった方を含め色々なご縁により)買わせていただいた」
(受け身・受動的な考え方)
とも言えるわけです。
このお宅の方からすれば、
「おばあちゃんが亡くなったから、お仏壇を買った」「当たり前のこと」
だと思っているんじゃないかと思います。
でも実は、当たり前のことじゃないんです。
「お仏壇を買った」ということは、無数にある「原因」そして「条件」がそろわないと決してあり得ない、奇跡とも言える尊い結果なんです。
最後に、どこかで見た、忘れられない言葉を。
「死は必然なり、生はおどろきなり」
(作者不明)