僕は大学の理系の学部に進学しました。
そんなこともあって、考え方が理系的になりがちです。
よく言えば論理的思考、悪く言えば理屈っぽい考えです。(笑)
小学校の算数では、まず、1+1=2 を習います。
小学校の先生をしている友人と一緒に飲んでいた時に、
入学したばかりの子供に算数を教えるときに、たまに、
「何で 1+1=2 なんですか?」と質問されることがある、
という話を聞いたことがありました。
子供に対して、
リンゴ1個とみかん1個、合わせていくつでしょう?
なんて教え方をすると思います。
僕なら間違いなく、「2個!当たり前だろ」なんて答えると思います。
でも、子供の中には、
リンゴとみかんを合わせることなんてできない。
なんて答える子供もいるそうです。
実は、そういう質問をする子供の方が、
ものごとをありのままに見ているんじゃないかと思うんです。
自分の知識、常識にたよらず、ものごとをありのままに見ているんじゃないかと思います。
現実には、「1+1=2」が成り立たないことが結構あると思います。
仕事で、2人いるからといって、2人分の効率が得られるとは限りません。
学問としての「1+1=2」という考え にとらわれてしまっている僕がいます。
論理的思考にとらわれ、
ありのままにものごとを見ることができなくなっている僕がいます。
「1+1=2」という問いを、とことんつきつめて考えていくと、
どうしても証明出来ない数学上の公理(ペアノの公理)にぶつかります。
公理は仮定です。もうそれ以上は、論理的に説明できない訳です。
論理的に考えている(知識・常識にたよって考えている)自分のものの見方、考え方が、
いかにあてにならないか気付けるんじゃないかな、なんて思います。
仏教を学ぶことは、
誰しもが持っていた(と思う)子供の頃の素直なものの見方、
「何で 1+1=2 なの?」と思った子供の頃のものの見方、
自分の知識、常識にたよらずものごとを見ていた、子供の頃のものの見方を
大人になった今、再度取り戻すこと、とも言えるんじゃないか・・・
なんて思う今日この頃だったりします。
※「1+1は?」という問題は、実は、超難問です。