久しぶりの投稿です。紆余曲折ありまして、たまに東京、千葉でお通夜・ご葬儀に出仕させて頂いております。
最近よく、お通夜の法話の際に、平野恵子さんの子供達に宛てられたメッセージを朗読しています。
平野恵子さんは、岐阜県高山市の浄土真宗の寺の坊守(住職の奥様)でした。
彼女が39歳の時に癌(ガン)の告知を受け、41歳の時に往生されました。
癌の告知を受けた時、平野恵子さんには三人のお子さんがいましたが、そのお子さん達へ宛てた手紙形式のメッセージです。
久しぶりの投稿です。紆余曲折ありまして、たまに東京、千葉でお通夜・ご葬儀に出仕させて頂いております。
最近よく、お通夜の法話の際に、平野恵子さんの子供達に宛てられたメッセージを朗読しています。
平野恵子さんは、岐阜県高山市の浄土真宗の寺の坊守(住職の奥様)でした。
彼女が39歳の時に癌(ガン)の告知を受け、41歳の時に往生されました。
癌の告知を受けた時、平野恵子さんには三人のお子さんがいましたが、そのお子さん達へ宛てた手紙形式のメッセージです。
七日法事も早、3日目になりました。
本日ここにお参りいただいた方々は、ここ1年で身近な方を亡くされて、言い表しようもなく、つらく、哀しい思いをされた方ばかりだと思います。
実は私も3年前の平成22年の12月14日に母を亡くしました。おととしが、母の新盆でした。
父から「母が亡くなった」と電話をもらった時、私は銚子にいましたので、長野にすぐかけつけました。
到着して布団に寝ている母を見た瞬間、涙があふれてきまして、しばらく止まりませんでした。
今考えてみますと、その時流した涙は、かなしさ、さびしさの涙というよりは、後悔の涙だったように思います。
相田みつをさんの「セトモノ」という有名な詩があります。
セトモノと セトモノと
ぶつかりっこすると すぐこわれちゃう
どっちか やわらかければ だいじょうぶ
やわらかいこころを もちましょう
そういうわたしは いつもセトモノ
僕も好きな詩です。
最後の「そういうわたしは いつもセトモノ」という箇所で救われるような気がします。
以前お参りで、とあるお宅にお伺いしたときのこと。
そのお宅の奥さんに、お仏壇のお荘厳について色々質問されました。
そして、無事質問に答え終わった後、奥さんがぼそっとこんなことを言われました。
私、こういうこと、何にも知らなくて・・・。
本当に私「門徒ものしらず」ですみませんでした・・・。
ありがとうございました・・・。 続きを読む
今が本番 今日が本番
もどることの できない今
(あるお寺の掲示板より)
10月の寳満寺の掲示板のことばです。
今年も早10月です。あっという間に残り3ヶ月になりました。
突然ですがクイズです。
制限時間5秒です。
なぞなぞではありません。^_^
問い)
私達が暮らすそのすぐそばに存在し、そして私達をすりぬけながら存在し、
見える物質よりも、はるかに大量に満ちあふれている、私達に見えない存在のものは何でしょうか?
ブログを更新することに執着している僕がいましたので、
あえて3日間更新をしませんでした・・・。
仏教を学んでいくとともに”へりくつ”がうまくなっていく僕がいたりする今日この頃です。
仏教では煩悩は我執(がしゅう)から生じると説かれます。
我執(がしゅう)とは、簡単に言うと、
「自分中心の考え、それに基づく物事への執着」です。
ちなみに煩悩とは「さとりを邪魔する欲望」のことで、煩悩の根源を、
よく「三毒」なんて言い方をします。
仏教の理想は、「無執着(むしゅうじゃく)」すなわち、「何ごとにも執着しないこと」
と言えると思います。 続きを読む
先日、西本願寺公認の省スペースタイプの”ご本尊”を申し込みされたご門徒さん宅に、
入仏式も兼ねてお届けしてきました。
→入仏式関連記事「お仏壇を買ったことはおどろきなり」
このタイプのご本尊は、仏壇が必要なくてどこにでも置けます。
アパート・マンションにぴったりです。^^
続きを読む
朝からの雨にもかかわらずたくさんの方がお越しくださいました。
今日のご講師は、千葉県市原市の西光寺ご住職 吉弘円秀 先生でした。
「涅槃経」に説かれる、王であった父親を殺した阿闍世(アジャセ)王子の救いを中心に、
お話くださいました。 続きを読む