賤ヶ岳の七本槍「福島正則公」旧館跡に伝わる遺品
- 肖像画
- 槍先
- 仏舎利
- 掛け軸(絵伝)
- 解説 → 高井寺ホームページ内「福島正則公・旧館跡に伝わる遺品」のページ
- 写真 → 当ブログ内「ギャラリー」-「福島正則公遺品一覧」
賤ヶ岳の七本槍「福島正則公」旧館跡に伝わる遺品
以前、新盆にあたられている寳満寺(宝満寺)さんのご門徒さん宅をお伺いした時のこと。
「蓮の花のおかざりにはどういう意味があるのか?」
というご質問をいただいた事がありました。
お寺ではたくさんの「蓮の花」を見かけます。
浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来が立たれているのも蓮の上ですし、
また教典・聖典の中にも、「阿弥陀経」はもちろん「正信偈」にも「蓮の花」がでてきます。
「蓮華(れんげ)」と書いてある場合もあります。
仏教では「泥中の蓮華(でいちゅうのれんげ)」としてそこにひとつの意味を持たせています。
蓮の花は、決して美しい環境とはいえない泥の中に生えて、それでも泥に染まらず、とても美しいきれいな花を咲かせます。
泥は私たちがいるこの娑婆世界をあらわしています。
泥は私たちの「煩悩(ぼんのう)」をあらわしています。
そして「花」は仏教でいう「さとり」をあらわしています。
「花」は「物事をありのままに見ることができる、美しい清らかな心」をあらわしています。
つまり仏教では「このどろどろした娑婆世界で、美しい清らかな心をもった目覚めた者になろう」と蓮の花を意味づけています。
しかし「煩悩を無くし、さとりをひらく」ことが出来ればいいのですが、
やはり圧倒的大多数の人が、泥の中にいれば泥に染まってしまいます。
でも親鸞聖人はそれが悪いことだとはおっしゃっておりません。
正信偈の中に、
能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味
とあります。わかりやすく意訳しますと、
よく信心をおこして、阿弥陀様の救いを喜ぶ人は、清い水をもつ川、泥水をもつ川、あらゆる川の水が海に流れ入って一つの味の澄んだ水になるように、煩悩を断たないままですべて等しく悟りを得ることが出来る。
という意味です。
そして正信偈はこう続きます。
摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貧愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
ここで親鸞聖人は、煩悩を「雲(くも)」「霧(きり)」におおわれた「闇(やみ)」に例えられております。
「闇」をうちやぶるのは「光」意外にありえません。
ひとすじの太陽の光がさせば、「闇」は一転、明るい世界です。
「闇」が「闇」をうちやぶるのではなく、「闇」は「闇」のままで、
太陽の光によって明るい世界へと変えられていきます。
闇(煩悩)に囲まれた私たちが、自らその闇(煩悩)を打ち消すことは非常に難しいことです。
しかし、闇(煩悩)はそのままで、阿弥陀さまの本願の光に包み込まれて、光の世界へと変えてくれる、親鸞聖人はそうお説きくださっております。
最後に、
「蓮の花」というのは、きれいな澄んだ清流のような水のあるところには決して咲かないそうです。
「泥の中」にしか咲かないそうです・・・。
そして、花が咲くには、太陽のひかりが必要なのは、言うまでもないですね・・・。
お盆は正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいいます。
「盂蘭盆会」というのは「盂蘭盆経」というお経に説かれた物語に基づいています。
お釈迦様のお弟子に目蓮という方がいました。目蓮尊者と呼んでいます。
目蓮は心のやさしい方で、亡くなった母の事が忘れられず、いつも育ててくれた恩を感謝していました。
ある日、目蓮は、その亡くなった母がどこに行っているのか神通力で探してみました。
神通力というのは目に見えないところを見通せる力のことです。
そしたら餓鬼道に墜ちて、飲まず食わずで皮と骨ばかりになって苦しんでいるのを発見しました。
餓鬼道というのは、むさぼりの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる、
地獄みたいな、ところだと思ってください。
目連は悲しんで、食べ物を、亡き母のもとへそれを持って行きました。
母は食べようとしますが、口に入れる前に燃えてしまい、食べる事ができません。
目蓮はさらに神通力でその母の餓鬼道に墜ちなければならない理由を知ろうとしました。
そこには、生前目蓮の知らなかった母の一面がありました。
母は目蓮にこそ、この上もなくやさしい人でしたが、他人に対しては、ものをとりこむ一方で、施したり、恵むという事を一切しない人でした。
つまり目蓮を育てるため、目蓮を食べさせたいがために、母親が餓鬼道に堕ちたのだと知った目連は、お釈迦様になんとか自分の母親を救えないものかと、泣きながら尋ねました。
するとお釈迦様は、修行僧達の修行が7月15日に終わるので、この7月15日に、お釈迦様のおられる塔にお供物を盆にもってささげて、すべての修行僧達に、ごちそうをふるまいました。
するとその結果、目連尊者の母親は餓鬼道から救われたそうです。
それを知った修行僧達は大いに喜び、歓喜の踊りを踊ったということです。
この踊りが「盆踊り」の始まりだといわれています。
それ以来、7月15日が先祖を偲ぶ日として定着していったようです。
以上がお盆のいわれとなります。
そして実は、「盂蘭盆」という言葉はもともと古代インドの言葉なんですが、
「さかさま」という意味があるそうです。
ここで考えてみますと、
目蓮は、母親が我が子かわいさに、私(目蓮)(だけ)を食べさせたいがために餓鬼道に落ちたことを知りました。
ではその当の目蓮は・・・、
実は、その当の目蓮でさえ、「『母親(だけ)』をすくえないものか」とお釈迦さまに泣きながら頼んでいます。
このことは、目蓮自身も母親と同じ餓鬼道に墜ちる身であるということを教えてくれています。
「母親が餓鬼道に落ちた理由」を目の当たりにしながら、
目蓮はやはり、餓鬼道に落ちた全てのものではなく、母親(だけを)を救おうとしていたのです。
これは、私自身にも当てはまるのではないでしょうか?
私がお盆の時に偲ぶ・思うのは、せいぜい近しい方だけではないでしょうか?
私の近しい方以外(他人)を偲んだり、思うことはそうないのではないでしょうか?
つまり、私自身は目蓮同様、目蓮の母親同様、どうあがいても餓鬼道に墜ちる身であるということを教えてくれています。
「盂蘭盆会」=「さかさま」
お釈迦さまは、すべての修行僧達にごちそうをふるまう・・・。
う~ん・・・深いと思いませんか・・・?
(※偽経とは言われていますが・・・。)
テレビのニュースによると、今日明日くらいから、ふるさとへ帰る人達の帰省ラッシュがはじまるそうです。
今朝、寳満寺さんの本堂の中の掃除をしていると、10匹近くのスズメバチが死んでいるのを見つけました。
実は七日法事が始まる前、7月の後半位に、本堂近くにあったスズメバチの巣を駆除していました。
きっと帰る場所を失ったスズメバチ達が、帰る場所を探して、本堂に迷い込んだあげく、力尽きて死んでいったんだと思います。
「帰れるふるさと」があるって、すばらしいことだと、ふと思った今日この頃です・・・。
普段私達は、自発的に「生きている」「私の『いのち』は私のもの」と思いがちですが、
仏教では「私のいのち」は、「さまざまなご縁によって生かされている『いのち』」です。
私は「いのち」をいただいているわけです。
子供の頃、
「死んだらどうなるんだろう・・・」
なんて事を考えたりしたことがありました。
「私の身体(からだ)」(つまり「私を構成している物質」)は、さまざまなご縁によって今この瞬間、たまたまこういう姿をいただいておりますが、「死んだとき」すなわち、その「ご縁が尽きたとき」には、「私を構成していた物質」に戻るわけです。
よく「土に帰る」なんて言います。
そして「私のいのち」も「さまざまなご縁によっていただいた『いのち』」と味あわせていただきますと、「そのご縁が尽きたとき」には、無くなるわけでもなく、どこかへ行くわけでもなく、「私の身体」同様、ただ元に戻るだけです。
私を私たらしめてくださった「いのちの世界」「いのちのふるさと」へと戻るだけです。
だから、決して「いのち」が無くなるわけではないと思うんです。
7月の寳満寺の常例法話に来て下さった純心寺の曽我先生が「いのち」を「海の泡」に例えられてお話くださいました。
海の水が岩にうちつけると泡ができます。
「すぐ消えてしまう泡」「しばらく保つ泡」。いろいろな「泡」があるけれども、
その「泡」は無くなるわけではない。ただ大いなる海にまた還るだけです。
浄土真宗では、その「大いなる海」「『いのち』が還る『いのちのふるさと』」を
「お浄土」
とよんでいます。
だから、「お浄土に還らせていただく」(還浄)という言い方をします。
「帰れるふるさと」があるって、すばらしいことだと、思った今日この頃でした・・・。
南無阿弥陀仏。
お釈迦様が悟られたのは、「縁起の法」です。
例をあげますと、仏教での「いのち」は、縁によって生かされている「いのち」という事です。
「縁起の法」と「空(くう)」の思想とは密接な関係があります。というより実は同じような事だったりします。
※下記から中仏在学中にまとめたレポート。
棚飾りの確認で、とあるご門徒さんのお宅にお伺いした時のこと。
棚の件でいろいろ説明させていただいていた時に、
「仏って意味がよくわからん!」
みたいな事を言われた方がおりました。
確かに言われてみれば、一般的には「死んだ人」という意味で使われているように思います。
その意味で、
「亡くなられた方はお浄土に生まれ『仏』となられたので~・・・」
といくら説明してみても、話が食い違うばかりです。
「仏」という字、昔は「亻(にんべん)」に「弗」と書いた「佛」という字を使っていました。
調べてみると「弗」は「あらず」という意味で、「佛」とは「人にあらず」ということをあらわしていたそうです。
「仏」は、もともとサンスクリット語(古代インドの言葉)の「ブッダ」の音を
漢字で「仏陀(ブッダ)」と当てたもので、本来は「目覚める」という意味です。
お釈迦さま(=釈迦牟尼世尊=釈尊)は三十五歳の時に菩提樹のもとで悟りをひらかれ、
「真理の法」(縁起の法)に目覚められました。
そのとき、お釈迦さまは、「仏」すなわち「目覚めたもの(覚者)」となられました。
つまり、
「仏」とは「真理に目覚めたもの」=「悟りをひらいたもの」
のことを言います。
決して「仏教」は「死ぬための教え」ではありません!
「目覚めるための教え」です。
「日々をどう生きるか」「どう生きるべきか」ということが仏教の教えです。
平成27年5月10日追記:
自分も今まであまり意識しないで、仏(ぶつ)と仏(ほとけ)を使ってきました。
今後、注意して使っていかなきゃな・・・なんて思います。
今日でようやく七日法事が終了。
今年は毎日たくさんのご門徒さんがお参りくださいました。
暑い中、早起きをしてお参りくださいましたご門徒さん達には本当に頭が下がります。
七日法事の六日目の昨日、自分が法話をする番。
話す内容が直前までまとまらず・・・。
早起きしてお参りくださったご門徒さんに対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。今後への反省をこめて、あえて原稿を後悔公開。
「法話とは?」
浄土真宗の伝道は「仏徳讃嘆」「自信教人信」という言葉につくされます
浄土真宗では、法話を聴聞することが大事にされてきました。
法話とは、阿弥陀如来の救いの法を讃嘆することです。
「浄土真宗本願寺派 綜合研究所」
「布教師の先生から教わった事」
下記のどの話題にもさわっていない話は法話ではない。
銚子ではお盆といいますと、8月13日~15日くらいの間をさすと思います。
私の実家の長野県でも同じです。
ただ東京方面では、お盆といいますと一月(ひとつき)早い7月です。
私の亡くなった祖父が、よく東京のお寺に、出稼ぎに!?行っていたのを思い出します。
なんで東京では、7月お盆なのか、調べてみたんですが、諸説あるみたいです。
もともとお盆というのは、旧暦7月15日頃行われていました。
明治時代になって新暦が採用されたときに、
旧暦の7月15日というのは新暦の8月中なんですが、
東京の人、江戸っ子は8月まで待ちきれなかったそうです。
だから、新暦でも7月にお盆をおこなったという説が有力だそうです。
じゃあ何故他の地方は東京にならって7月をお盆にしなかったのか?
理由は簡単で7月中は、農作業が忙しかったからだそうです。
まあ、一月(ひとつき)違うと、東京にいる親戚と地方にいる親戚があつまりやすくて都合が良かったりで、今のかたちで定着したそうです。
お寺の世界でも、東京のお坊さんと地方のお坊さんの間ででお手伝いがしやすいですしね。
今日法務が終わり、帰りがけに寳満寺の坊守さんに「すいか」をいただきました。
8月と言えばやはり、SUIKA!
晩ご飯においしくいただきました。有り難うございました。
明日は七日法事3日目。
明日、5分~10分くらいの法話の当番にあたってるので、話す予定の法話の原稿。
続きを読む
「新盆」
銚子では、「しんぼん」と発音します。全国的に見ると、「にいぼん」「あらぼん」と発音する地方もあるかと思います。
呼び方が地方地方でまちまちなように、新盆の迎え方も地方によってさまざまかと思います。
かつては、地方はそれぞれ独立した”国”のようなものでしたから、各地方で言葉が違ったように(※方言)、新盆の迎え方にも地方で違い・特色があるのは当然かと思います。
銚子では新盆を迎えるにあたり、自宅に「棚」をかざるのが一般的です。(※新盆棚)
浄土真宗のご法義に詳しい方ならご周知のとおり、浄土真宗では、新盆だから、お盆だからといって、棚をかざることはしません。
寳満寺さんでは、新盆を迎えるにあたり、6月から7月にかけて一軒一軒ご門徒さん宅を訪問し、お寺の新盆の行事等について説明させていただいています。
ここが難しいのですが!?その際、上記の浄土真宗では棚をかざらないことを伝え、あとはご門徒さん自身に、棚をかざるか・かざらないかを選択していただいてます。そして、飾るのであれば出来るだけ簡素にかざっていただくようにお願いしています。
確かにご門徒さんの立場にたってみると、いくら寺が「かざらなくてもOK」といったところで、棚をかざるのが一般的なここ銚子において、故人にご縁のあった方がお参りにきてくださった際、「この家は、新盆なのに棚もかざってない!世間知らずな家だ!」なんて思われなくもありません。
個人的には、銚子においては、この状態がベストだと感じています。
仏教では「『正解』は必ずしもひとつとはかぎらない」と思うからです。
(※浄土真宗も仏教である以上同様だと思います)
とかく現代では「どちらが正しいか?」と正解にこだわってしまう傾向、ものごとの白黒をはっきりさせたがる傾向がありがちですが、仏教の教えは、画一的ではないはずです。
「八万四千の法門」という言葉があります。釈尊は相手に即して教えを説かれました。
その人その人にあった教えを説いたので、教えが八万四千になった、という風に言われています。元来仏教にはいろんな教えがあります。(※このことが色んな宗派がある理由です。)
ここ銚子において、新盆にあたられている浄土真宗のご門徒さんが、
と思う今日この頃です。