人間のする最も美しい姿?

西本願寺公式!?ご本尊「菊」バージョン

西本願寺公式省スペースタイプご本尊「きく」

先日、西本願寺公認の省スペースタイプの”ご本尊”を申し込みされたご門徒さん宅に、
入仏式も兼ねてお届けしてきました。
入仏式関連記事「お仏壇を買ったことはおどろきなり」

このタイプのご本尊は、仏壇が必要なくてどこにでも置けます。
アパート・マンションにぴったりです。^^
続きを読む

僕は死に際、何を後悔してるんだろう・・・

ラオウ

ラオウ昇天Tシャツの通販ページに飛びます

我が生涯に一片の悔いなし
(コミック版「北斗の拳」16巻 40頁)

漫画「北斗の拳」で、
ケンシロウの義兄ラオウがケンシロウとの壮絶な戦いに敗れた後、
自ら秘孔を突いて大往生を遂げる際のひとことです。
※意味不明な方、申し訳ございません・・・(笑)

僕もこう言って死んでいきたいものです。
僕は何を思いながら死んでいくんだろうか・・・。 続きを読む

かわいい?

なめこの人形

謎のなめこ人形・・・

宝満寺では、受付係(寺務員さん)として、3人の若奥さまが交代制で、来てくれます。

先日、坊守と若奥さまNさんの2人が、何やら、「カワイイ~♪」とか言いながら、
ナメコの人形の話で盛り上がっていました。

何がカワイイのか全く意味不明でしたので、なるべく関わり合わないようにしていたのですが、

続きを読む

なぜ人を殺してはいけないの?

インターネットサーフィン(死語?)をしていて、
いろいろ考えさせられることがありました。
関連ページ

今日は花金(死語?)にもかかわらず、
どういうわけか、時間がありあまっていましたので、

もし自分の子供から、

「なぜ人を殺してはいけないの?」

という質問をされたら、どう答えるか、考えてました。
※独身なので妄想です・・・orz

人のいのち、動物のいのち、虫のいのち、いのちは全て平等なんだよ。
そしていのちは、人がどうこう決めていいもんじゃないんだよ。
だから人に関わらず、動物、虫も殺しちゃだめなんだよ。

こんなとこでしょうか。

「何で?」とか「よくわかんない」

と言われたら、

理屈じゃないんだよ。だめなものはだめなんだよ。
仏さまがそう言っているんだよ。

以上です。

そもそも子供がこういう質問をする前から、
「いのち」について子供に伝えていった方がいいんじゃないかと思います。

信仰は理屈じゃないと思うんです。
仏教は理屈じゃないと思うんです。
仏教は学問じゃないと思うんです。

もしこの質問に、理屈で、答えようとすると、
「殺してはだめ」ではなくて、
多くの条件付きながら、「人を殺してもいいんだよ。」
と答えざるを得ません。

地球上では絶えず戦争が起こり、人が人を殺しています。
戦争なら人を殺してもいいことになります。
むしろ多くの人を殺せば英雄扱いです。

そして日本でも、悪質な犯罪者には、「死刑」があります。
重罪を犯した人は殺してもいいことになっています。

そして、正当防衛ならば人を殺してもいいことになっています。

人を殺すと自分が死刑になるから、殺しちゃいけない?
人を殺すと、その家族が悲しむから殺しちゃいけない?
自分がされてイヤなことは人にやってはいけない、
だから殺しちゃいけない?

この質問に対して、理屈で答えられる自信は僕にはありません。

そして、ふと!
独身の僕が、子供がいると仮定して、
色々妄想していることに対してのむなしさ、無意味さについても、気付いてしまいました。
いや、むしろ、早めに気付けて(現実に戻れて)よかったと思うべきでしょうか・・・。

「なぜ人を殺してはいけないの?」

どう答えますか?

精一杯休む。

生きているということは確実に死に近づくこと。

一歩一歩確実に「死」に向かって歩いている。

「死」がむなしい、無意味なものであるなら、

「死」に近づくにつれ、むなしさ、恐怖感がつのっていくばかり。

 

もし「死」に意味を見いだすことができたら、

「死」が私が滅んでいくことではなくて、

「死」が、

「人として生きてきた私が新たな場所に往き生まれること」、

「私が先に見送ってきた、亡き愛する者とまた会えること」、

そして

「私が残してきた愛する者のしあわせを願い、見守っていくこと」、

と意味を見いだすことができたら、

「死」は決してむなしく、無意味なものでなくなるはず。

そして意味を見いだすことが出来たとき、

「私の死んで行く場所」が、

「むなしく無意味な恐怖の場所」

から

「私の還(かえ)るべき”ふるさと”」に変わる。

私のこころに、「還(かえ)ることのできる”ふるさと”」ができる。

私のこころに、よりどころを得た安心感が生まれてくる。

このとき「救い」は完成する。

 

後は人としての一生を精一杯生きるだけ。

その日その日、目の前のやるべきことを精一杯やっていくだけ。

朝起きて「今日も朝目が覚めたこと」に「ありがとう」。

夜寝る前「今日一日生かされたこと」に「ありがとう」。

一日一日精一杯生きていくだけ。

ひたすら目の前の現実を見て、ひたすら現実を受け入れて生きていくだけ。

ただただ現実を生きる。

世間にはびこる、変なおまじないや変な宗教に逃げることなく。

それでも現実から逃げたくなったら、

仏さまにちょっと甘えてみる。

「そのままでいんだよ。」

「逃げたくなるのが人なんだよ。」

ありのままの私を受け入れてくれる。

そしてまたひたすら現実を生きる。

成功するもよし。失敗するもよし。

仏さまの目からみれば、人生に成功も失敗もない。

そして、縁尽きて人生が終わったら、

あとはおまかせするだけ。

ふるさとに還るだけ。

(ひとりごと おしまい)

 

今日寳満寺の法務は休みでした。
部屋の掃除。
洗濯。
買い物。
サーカー観戦。※勝ちましたね♪
精一杯休みました。(笑)

蓮(はす)と鶏(にわとり)

泥の中から蓮(はす)が咲く

泥の中から蓮(はす)が咲く

蓮 と 鶏     作 金子みすゞ

泥のなかから
蓮(はす)が咲く。

それをするのは
蓮(はす)じゃない。

卵のなかから
鶏(とり)がでる。

それをするのは
鶏(とり)じゃない。

それに私は
気がついた。

それも私の
せいじゃない。

 

阿弥陀さまの願いは、生きとし生けるものすべてを救うことです。
そして、阿弥陀さまの救いは無条件です。

「善いことをしなさい」とか、
「念仏をしなさい」とか、
「信じなさい」とか、
「自力を捨てなさい」とか、
「~しなさい」という条件は一切ありません。無条件の救いです。

そしてその願いを「南無阿弥陀仏」の名号に込めて届けてくれてます。
あとは、その名号をただ受け取ればいいだけです。
難しいことを考える必要はありません。
届いたらそれが自然と「信心」になって、
届いたらそれが自然と「念仏」になります。

親鸞聖人は、晩年、
何事にもはからうことなく、あるがままをあるがままに受け入れた境地
「自然法爾(じねんほうに)」という言葉で語られています。

他力の教えの真髄だと思います。

さとりがひらける飲み物?

採れたての茄子(なす)をいただきました

採れたての茄子(なす)をいただきました

今日、ご門徒さんから「なす」をおすそわけしていただきました。
おいしそうな「なす」です。
さて、「なす」をどうやって食べようか、考えること1分。

僕の「なす料理」のレパートリーが「麻婆(まーぼー)なす」しかないことに気づきました。

二度と戻らぬ貴重な時間です。
早めに気づけてラッキーでした。

そうと決まれば、さっそくネギと一緒に炒めます。

炒め中

ひき肉と麻婆(まーぼー)なすの素(もと)を入れて・・・

麻婆なす

ひき肉、麻婆なすの素を投入!

麻婆なす完成

麻婆なす完成

完成。
さて・・・、これだけでは、ちょっともの足りないような気がします・・・。

ふと、古来から日本の寺院で脈々と語り継がれてきた?「般若湯(はんにゃとう)」なる飲み物があったのを思い出しました。

調べてみると、「般若(はんにゃ)」とは、
一般に「智慧」のことを言い、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう
とのこと。(ウィキペディアより

いかにも”さとり”がひらけそうな感じのする飲み物ではありませんか。
となれば、飲まないわけにはいきません。

湯飲みで一杯、二杯、三杯・・・飲み続けること小一時間。
気分は高揚してくるものの、”さとり”をひらける気配は全くありません。

どうやら、般若湯で”さとり”をひらこうとする発想自体、かなり無理があったようです。

やはり、”さとり”に関しては、阿弥陀さまにおまかせするしかなさそうです。

「なす」おいしくいただきました。ありがとうございました。

般若湯(はんにゃとう)・・・お寺でつかう「お酒」の隠語。ちなみにこの言葉は、浄土真宗では使いません。「お酒」は「お酒」です。

麻婆なすと「般若湯」

麻婆なすとやはり、いただきものの「般若湯」

毛虫

毛虫

宝満寺、毛虫大量発生中!

宝満寺の桜の木に毛虫が大発生しはじめたので、
昨日業者さんが来て、桜の木に薬をまいてました。

この毛虫、「モンクロシャチホコ」という蛾の幼虫だそうです。
気持ち悪いですね・・・。

でもこの毛虫当人?からすれば、毛虫として生まれ、毛虫として必死に生きているだけ。

気持ち悪いなんて言われる筋合いはありません。

結局、いい虫、わるい虫、決めているのは人間、つまり僕自身です。

 

今日、桜の木の下で丸くなって死んでいた毛虫を見つけ、

ふと、そんなことを思えましたので、

小さなこえで、「なまんだぶ」と言ってみました。