お浄土はよく、金とか銀とか瑠璃(るり=ラピスラズリ)などの宝石で荘厳され、
「大経(仏説無量寿経)」では「安楽」、
「阿弥陀経」では「極楽」すなわち「楽しみ極まりない世界」という書き方がされています。
現在、中央仏教学院長であります「白川晴顕(しらかわはるあき)」先生が書かれた
『親鸞聖人と超常識の教え(永田文昌堂)』という本の中で、白川先生の師である「村上速水(むらかみそくすい)」先生が、お浄土について述べられたことばが書かれています。
お経の上には、浄土のことを「安楽」とか「極楽」と表現されている。しかし、その本来の性質は、決して私たちが考えるような安らかで楽しみが多いというような性質ではない。
「安楽」「極楽」に対して言葉を当てはめれば、「非苦非楽(ひくひらく)」、すなわち苦しみに非(あら)ず、楽しみに非(あら)ずという性質である。
したがって、このような浄土は、私たちが心で思うこともできないために不可思議であり、
心で思うことができないということは、それを口で説くこともできないために不可説である。
これが本来の浄土の性質である。
しかし、そういう浄土であれば、私たちにその存在を知ってもらえない。
そこで、本来不可説なものを私たち凡夫の感情に合わせて表現されているのがお経の説示である。
そして白川先生はこう書かれています。※若干略しています。
私たちが生きているときに、浄土の存在を考えていく場合、(略)
その時私たちはどうしても、私自身のものの見方で浄土を考えようとします。
しかし、本来の浄土は決して私たちの欲望の延長上に存在する世界ではない・・・(略)
白川先生のおっしゃるとおり、
私自身が生きている時に、「お浄土」の存在を確かめておくこと!
とても大切だと思います。
「死ねば(お浄土に往けば)楽になれるんですか・・・?」
「死ねば苦しみのないお浄土に往けるのですか・・・?」
という安易な考えの方に応えるためにも。
(続く)
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