ちょっと遅い盆休み

銚子の宝満寺さんでの法務はお盆参りをもって、いったんひと区切りつきましたので、
ちょっと遅い盆休みということで、休みを4日ほどいただきました。(20日位ぶりの休み!)
そこで、16日の夜、銚子を出発し、実家(高井寺)のある長野県高山村に帰ってきました。

海に囲まれている銚子から一転、山に囲まれている長野へ来たからでしょうか、
長野に住んでいる間はごく当たり前で見向きもしなかったお寺からの山々の景色が、
とてもすばらしく思え、思わず感動してしまいました。

また、17日の夜、長野の友人K君と久しぶりに食事に行きました。
この友人K君は、私がまだ20代前半、長野に住んでいた頃に勤めていた会社の同僚でした。
同い年ということもあって仲良くさせていただいてまして、それ以来の長いつきあいです。
実は昨年K君は、糖尿病性の目の病気で目の手術をしました。
状態は快方に向かいつつも視力が現在0.1以下ということで、まだ完全には戻ってないそうです。そのK君が食事の際に笑いながら何気なく、

「昔は視力2.0で見えるのが当たり前だったんだけどな・・・」

と言ったのが印象に残りました。

ふと、

「死は必然なり、生はおどろきなり」

という言葉をどこかで見たのを思い出しました。

「当たり前のことって、決して当たり前じゃなくむしろ驚くべきこと。」

おかげさまで、実りある休暇を過ごさせていただきました。

お盆参り終了

昨日15日をもって寳満寺(宝満寺)さんのお盆参りが終了しました。
今年は関東・関西・九州方面から9名の僧侶の方々がお手伝いに来てくださいました。
(※なんと内4名が、「うら若き女性の僧侶」!!)
住職と私を含めた常勤法務員2人をあわせた合計11名体制で、
寳満寺さんのほぼすべてのご門徒さん宅を訪問させていただきました。

「暑いから」と冷えた麦茶をふるまってくださったご門徒さん、
「みんな冷たいお茶ばっかりだろ?」と熱いお茶をふるまってくださったご門徒さん、
「忙しいからお茶飲んでく暇ないだろ?」と缶のお茶を袋に入れて持たせてくださったご門徒さん、
何時にくるかわからない坊さんを朝から待ち続けてくださって、
夕方近くになって訪問したにもかかわらず「笑顔」で迎えてくださったご門徒さん。

銚子で日々「お育ていただいているな」とあらためて気づかせていただいたお盆でした。

打ち上げは犬吠にある「太陽の里」にて。

関係者のみなさま並びにご門徒のみなさま、
ありがとうございました。

「打ち上げ」は犬吠の「太陽の里」にて

「打ち上げ」は犬吠の「太陽の里」にて

お盆のいわれ(餓鬼道に落ちるのは?)

お盆は正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいいます。
「盂蘭盆会」というのは「盂蘭盆経」というお経に説かれた物語に基づいています。

お釈迦様のお弟子に目蓮という方がいました。目蓮尊者と呼んでいます。
目蓮は心のやさしい方で、亡くなった母の事が忘れられず、いつも育ててくれた恩を感謝していました。
ある日、目蓮は、その亡くなった母がどこに行っているのか神通力で探してみました。
神通力というのは目に見えないところを見通せる力のことです。

そしたら餓鬼道に墜ちて、飲まず食わずで皮と骨ばかりになって苦しんでいるのを発見しました。
餓鬼道というのは、むさぼりの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる、
地獄みたいな、ところだと思ってください。

目連は悲しんで、食べ物を、亡き母のもとへそれを持って行きました。
母は食べようとしますが、口に入れる前に燃えてしまい、食べる事ができません。

目蓮はさらに神通力でその母の餓鬼道に墜ちなければならない理由を知ろうとしました。
そこには、生前目蓮の知らなかった母の一面がありました。

母は目蓮にこそ、この上もなくやさしい人でしたが、他人に対しては、ものをとりこむ一方で、施したり、恵むという事を一切しない人でした。

つまり目蓮を育てるため、目蓮を食べさせたいがために、母親が餓鬼道に堕ちたのだと知った目連は、お釈迦様になんとか自分の母親を救えないものかと、泣きながら尋ねました。

するとお釈迦様は、修行僧達の修行が7月15日に終わるので、この7月15日に、お釈迦様のおられる塔にお供物を盆にもってささげて、すべての修行僧達に、ごちそうをふるまいました。

するとその結果、目連尊者の母親は餓鬼道から救われたそうです。

それを知った修行僧達は大いに喜び、歓喜の踊りを踊ったということです。
この踊りが「盆踊り」の始まりだといわれています。
それ以来、7月15日が先祖を偲ぶ日として定着していったようです。

以上がお盆のいわれとなります。

そして実は、「盂蘭盆」という言葉はもともと古代インドの言葉なんですが、
さかさま」という意味があるそうです。

ここで考えてみますと、
目蓮は、母親が我が子かわいさに、私(目蓮)(だけ)を食べさせたいがために餓鬼道に落ちたことを知りました。
ではその当の目蓮は・・・、
実は、その当の目蓮でさえ、「『母親(だけ)』をすくえないものか」とお釈迦さまに泣きながら頼んでいます。

このことは、目蓮自身も母親と同じ餓鬼道に墜ちる身であるということを教えてくれています。

「母親が餓鬼道に落ちた理由」を目の当たりにしながら、
目蓮はやはり、餓鬼道に落ちた全てのものではなく、母親(だけを)を救おうとしていたのです。

これは、私自身にも当てはまるのではないでしょうか?

私がお盆の時に偲ぶ・思うのは、せいぜい近しい方だけではないでしょうか?
私の近しい方以外(他人)を偲んだり、思うことはそうないのではないでしょうか?

つまり、私自身は目蓮同様、目蓮の母親同様、どうあがいても餓鬼道に墜ちる身であるということを教えてくれています。

「盂蘭盆会」=「さかさま」

お釈迦さまは、すべての修行僧達にごちそうをふるまう・・・。

う~ん・・・深いと思いませんか・・・?
(※偽経とは言われていますが・・・。)

銚子のお盆の花「みそはぎ」

11日から銚子以外の地域のご門徒さん宅(神栖市~旭市)へのお盆参りがはじまりました。
明日からは本格的に銚子市内のお盆参りがはじまります。

寳満寺(宝満寺)では、普段お墓にお供えするお花?として「松」を寺務所の受付で販売しています。昨日からは、「松」に併せて「みそはぎ」の販売をはじめました。

銚子では、お盆の時期に、お墓やお仏壇に「みそはぎ」をお供えするのが一般的です。

実は、はずかしながら銚子に来る前は「みそはぎ」という花を知りませんでした。
そこで、「みそはぎ」を広辞苑で調べてみると、※ちなみにwikiはこちら

みそ‐はぎ【溝萩】
(禊萩「みそぎはぎ」の意か。ミゾハギとも)ミソハギ科の多年草。日本全土、朝鮮半島に分布。高さ80センチメ-トル。
夏、淡紅紫色6弁の小花を長い花穂に密生。
盂蘭盆会うらぼんえに仏前に供える。
春、若葉を食用。精霊花。ミズカケグサ。
漢名、千屈菜。

との事。

銚子では「真言宗」が、いわゆる圧倒的多数派です。
それゆえに真言宗以外の宗派も少なからずその(密教)影響を受けます。
真言宗智山派公式ページの「お盆の迎え方」というページを見てみると、
「お盆にはみそはぎをお供えする」
と書いてあります。
きっと、真言宗のお盆の迎え方が、銚子全域に広がったのでしょう。

ちなみに、8月11日に神栖市(鹿島よりの神栖市)のご門徒さん宅をお参りさせていただいた際質問してみたんですが、お盆に「みそはぎ」をお供えする慣習は特に無いそうです。
そして今日12日は旭市周辺をお参りさせていただきましたが、
旭市のご門徒さんほぼ全てのお宅で、お盆には「みそはぎ」をお供えするとお答えいただきました。

浄土真宗においては、供花の種類に特にこれという決まりはありませんが、
毒のある花」・「トゲのある花」・「悪臭のする花
そして「悲しみの時の赤い花」は避けます。
(※よって「みそはぎ」でもOKです。)

参考までに「みそはぎ」の名前の由来である(可能性の高い)「禊(みそぎ)」に関してですが、
広辞苑によると、

みそぎ【禊】
(ミソソギ(身滌)の約か)
①身に罪または穢れのある時や重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること。万葉集4「飛鳥の川に―しに行く」
②禊祓(みそぎはらえの略。)

とあります。
どうやら「神道」の用語だそうです。
(※個人的には「穢れ(けがれ)」という考え方はいまいち好きになれません・・・。)
勉強になりました・・・。

みそはぎ

寳満寺(宝満寺)「みそはぎ」250円!

帰れるふるさと

テレビのニュースによると、今日明日くらいから、ふるさとへ帰る人達の帰省ラッシュがはじまるそうです。

今朝、寳満寺さんの本堂の中の掃除をしていると、10匹近くのスズメバチが死んでいるのを見つけました。
実は七日法事が始まる前、7月の後半位に、本堂近くにあったスズメバチの巣を駆除していました。
きっと帰る場所を失ったスズメバチ達が、帰る場所を探して、本堂に迷い込んだあげく、力尽きて死んでいったんだと思います。

「帰れるふるさと」があるって、すばらしいことだと、ふと思った今日この頃です・・・。

普段私達は、自発的に「生きている」「私の『いのち』は私のもの」と思いがちですが、
仏教では「私のいのち」は、「さまざまなご縁によって生かされている『いのち』」です。
私は「いのち」をいただいているわけです。

子供の頃、
「死んだらどうなるんだろう・・・」
なんて事を考えたりしたことがありました。

「私の身体(からだ)」(つまり「私を構成している物質」)は、さまざまなご縁によって今この瞬間、たまたまこういう姿をいただいておりますが、「死んだとき」すなわち、その「ご縁が尽きたとき」には、「私を構成していた物質」に戻るわけです。
よく「土に帰る」なんて言います。

そして「私のいのち」も「さまざまなご縁によっていただいた『いのち』」と味あわせていただきますと、「そのご縁が尽きたとき」には、無くなるわけでもなく、どこかへ行くわけでもなく、「私の身体」同様、ただ元に戻るだけです。

私を私たらしめてくださった「いのちの世界」「いのちのふるさと」へと戻るだけです。
だから、決して「いのち」が無くなるわけではないと思うんです。

7月の寳満寺の常例法話に来て下さった純心寺の曽我先生が「いのち」を「海の泡」に例えられてお話くださいました。

海の水が岩にうちつけると泡ができます。
「すぐ消えてしまう泡」「しばらく保つ泡」。いろいろな「泡」があるけれども、
その「泡」は無くなるわけではない。ただ大いなる海にまた還るだけです。

浄土真宗では、その「大いなる海」「『いのち』が還る『いのちのふるさと』」を
「お浄土」
とよんでいます。
だから、「お浄土に還らせていただく」(還浄)という言い方をします。

「帰れるふるさと」があるって、すばらしいことだと、思った今日この頃でした・・・。
南無阿弥陀仏。

縁起の二面性

お釈迦様が悟られたのは、「縁起の法」です。
例をあげますと、仏教での「いのち」は、縁によって生かされている「いのち」という事です。
「縁起の法」と「空(くう)」の思想とは密接な関係があります。というより実は同じような事だったりします。
※下記から中仏在学中にまとめたレポート。

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「仏(ぶつ)」とは?

棚飾りの確認で、とあるご門徒さんのお宅にお伺いした時のこと。
棚の件でいろいろ説明させていただいていた時に、

「仏って意味がよくわからん!」

みたいな事を言われた方がおりました。
確かに言われてみれば、一般的には「死んだ人」という意味で使われているように思います。
その意味で、
「亡くなられた方はお浄土に生まれ『仏』となられたので~・・・」
といくら説明してみても、話が食い違うばかりです。

「仏」という字、昔は「亻(にんべん)」に「弗」と書いた「佛」という字を使っていました。
調べてみると「弗」は「あらず」という意味で、「佛」とは「人にあらず」ということをあらわしていたそうです。

「仏」は、もともとサンスクリット語(古代インドの言葉)の「ブッダ」の音を
漢字で「仏陀(ブッダ)」と当てたもので、本来は「目覚める」という意味です。

お釈迦さま(=釈迦牟尼世尊=釈尊)は三十五歳の時に菩提樹のもとで悟りをひらかれ、
「真理の法」(縁起の法)に目覚められました。
そのとき、お釈迦さまは、「仏」すなわち「目覚めたもの(覚者)」となられました。

つまり、

「仏」とは「真理に目覚めたもの」=「悟りをひらいたもの」

のことを言います。

決して「仏教」は「死ぬための教え」ではありません!
「目覚めるための教え」です。

「日々をどう生きるか」「どう生きるべきか」ということが仏教の教えです。

平成27年5月10日追記:
自分も今まであまり意識しないで、仏(ぶつ)と仏(ほとけ)を使ってきました。
今後、注意して使っていかなきゃな・・・なんて思います。

七日法事(新盆法事)法話②

今日でようやく七日法事が終了。
今年は毎日たくさんのご門徒さんがお参りくださいました。
暑い中、早起きをしてお参りくださいましたご門徒さん達には本当に頭が下がります。

七日法事の六日目の昨日、自分が法話をする番。
話す内容が直前までまとまらず・・・。
早起きしてお参りくださったご門徒さんに対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。今後への反省をこめて、あえて原稿を後悔公開。

「法話とは?」

浄土真宗の伝道は「仏徳讃嘆」「自信教人信」という言葉につくされます
浄土真宗では、法話を聴聞することが大事にされてきました。
法話とは、阿弥陀如来の救いの法を讃嘆することです。
浄土真宗本願寺派 綜合研究所

「布教師の先生から教わった事」

下記のどの話題にもさわっていない話は法話ではない。

  • 本願
  • 念仏
  • 浄土
  • 成仏

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東京のお盆はなぜ7月?

銚子ではお盆といいますと、8月13日~15日くらいの間をさすと思います。
私の実家の長野県でも同じです。
ただ東京方面では、お盆といいますと一月(ひとつき)早い7月です。
私の亡くなった祖父が、よく東京のお寺に、出稼ぎに!?行っていたのを思い出します。

なんで東京では、7月お盆なのか、調べてみたんですが、諸説あるみたいです。

もともとお盆というのは、旧暦7月15日頃行われていました。
明治時代になって新暦が採用されたときに、
旧暦の7月15日というのは新暦の8月中なんですが、
東京の人、江戸っ子は8月まで待ちきれなかったそうです。
だから、新暦でも7月にお盆をおこなったという説が有力だそうです。

じゃあ何故他の地方は東京にならって7月をお盆にしなかったのか?
理由は簡単で7月中は、農作業が忙しかったからだそうです。

まあ、一月(ひとつき)違うと、東京にいる親戚と地方にいる親戚があつまりやすくて都合が良かったりで、今のかたちで定着したそうです。
お寺の世界でも、東京のお坊さんと地方のお坊さんの間ででお手伝いがしやすいですしね。

今日法務が終わり、帰りがけに寳満寺の坊守さんに「すいか」をいただきました。
8月と言えばやはり、SUIKA!
晩ご飯においしくいただきました。有り難うございました。

すいか

七日法事のお供物のすいか?